第二章の「連」がつくる江戸十八世紀--行動本草学から落語まで
練はふたつの側面で機能する。ひとつは作品の内の論理としてであり、もうひとつは作る者たちの組織としてである。(p.91)
……しかも複数の人間が相互の関係を即興的に作りながら出来上がってゆく詩である(……)他の作者の作った前の句には、付けすぎても離れすぎもしないよう、最新の注意を払いながら付けてゆかなくてはならない。なぜなら、離れすぎれば「連」ではないただの「別の句」になってしまうし、付きすぎれば、「練」として後へ開かれてゆかない、ただの「同じ句」になってしまうからである。こうしてはじめて、他と同じものではない、だからといって他と別のものでもない個々の存在、というものが生まれ、それが生まれることによってはじめて、それらが「連なってゆく世界」が出来上がる。こうして連なる世界では、時間的には前のものに付けてゆく、という順番をとるのだが、前のものが後のものを生み出す、というだけにはならず、後のものが、前のものの意味を変えてしまう、ということが起こる。(pp.91-92)
練の方法は、ひとつところに釘づけにされてしまった視点を相対化する方法として、現れることもある。(……)相対化はまた、固定したものを笑いほぐす徘徊化の方法にも通じているだろう。(p.99)
トリビア的には
たとえば徘徊とは中国語で滑稽の意であり、滑稽詩「徘徊体」の発想は、『古今集』の滑稽歌「徘徊歌」を生んだ。(p.100)
田中優子.(1992)江戸の想像力.ちくま学芸文庫,東京.